2019/03/08
追悼 ザ・デストロイヤー
「白覆面の魔王」と呼ばれたザ・デストロイヤーが逝った。
彼が残したエピソードは数限りなくあるが、いま思いつくだけでも挙げてみると…
もともとはリチャード・ベイヤーと言うテクニシャンレスラーだったが、童顔で小柄なため人気が出なかった。そこでマスクマンに変身し、テクニックとラフプレーをかみ合わせた人気レスラーとなった。
日本のリングとも縁が深く、力道山 ➡ 馬場らと好勝負を演じた。
特に昭和38年東京体育館で繰り広げられた力道山との死闘はプロレス史に残る名勝負として名高い。テレビ視聴率は64%(テレビ史上4位)を誇ったが、デストロイヤーの必殺技四の地固めを映すために前もって天井にテレビカメラを仕込ませるという見事な演出であった。(↓の写真がそれだ)
また初来日の際には力道山対キラー・コワルスキー戦の前にスーツ姿でリングに上がり、握手を求めてきた自分より格上のコワルスキーのビンタを張ると言うセンセーショナルなデビューを見せプロレスファンの魂を揺さぶった。
シラキュース大学大学院の修士課程を終えたためかプライドが高く、正式なリングネームは…ジ・インテリジェント・センセーショナル・デストロイヤーと名乗り鼻持ちならないイメージを売り物にしていた。
後年は馬場との友情を大切にし、馬場が立ち上げたばかりの全日本プロレスの日本陣営に加わり、マスカラスやブッチャーと激闘を演じレスラーとしての最後の花道を彩った。
バラエティー番組で笑いを取ったのは愛嬌としても、とにかくヒールでもベビーフェイスでもなんでもこなせた役者だった。その役者に対し2017年には日本政府から旭日双光章が送られ話題となった。
今頃はニューヨークの空の下、永年に亘りかぶりつづけた白覆面を脱いだリチャード・ベイヤーは、やっと素の自分に戻り、静かな眠りについていることだろう。
合掌
ノエル「ちなみにボクのリングはこの部屋でちゅ…必殺技はナメナメとカミカミでちゅ…」