2018/06/04
揺れる景色
涙のわけはわかっている。
高校総体で負けた後の解団式で、川が決壊するように人目もはばからず泣き始めたミッチー。
それは嗚咽を伴うものであった。
小学生の時九州代表に選ばれ、中学進学に際してはいくつかのチームから声もかかったが、結局選んだのは中高一貫の進学校サッカー部。
複数の指導者から「お前サッカーやめるらしいな」「どうしてそこに行くの」と言われた。
しかし彼には明確な目標があった。
「次に自分が立つのは大学サッカー部のピッチだ」と。
そのためには中学、高校は勉強とサッカーを両立させねばならない。
運よく中学、高校と県の国体候補にも選ばれた。
でも結局は最終選考で落とされた。
力不足だった。
初めて言うが代表チームに召集されるたびに自校チームのことを酷評された。
「そんな学校に行ったから全く上達してない」
「お前が本物だったらチームを勝たせてみろ」。
どこかの大学チームの指導者が言いそうなセリフだが、彼はそんな風圧にもさらされてきた。
そのたびに彼は自分で選んだ進路がこれでよかったのか深く思い悩んだ。
迷走する頭はやがてこんなことを考えるようになった。
「自分がもっと上手くなり、チームを強くして見返してやる」と。
勉学優先のためチーム練習ができないことが多かった。
対外試合も圧倒的に少ない。
そんな時は他チームのサッカースクールや社会人のフットサルチームの門を叩いた。
見ず知らずの人たちの中で疎外感も感じたが、ピッチにいるときはボールとゴールだけを見て走り続ければよかった。
悔しい思いが彼を急き立てた。
そしていつしかそんな彼の姿勢がチームに不協和音を招き、浮いた存在になっていた。
「道生にはついていけない」。
そこでまた立ち止り考え、ある結論に達した。
これは自分のための部活ではない。部活にかける思いはひと様々だ。
自分の勝手な思いをチームに押し付けてはいけない。
みんなが楽しめる部活にしないといけない。
自分の秘めた思いは心の底の引き出しにそっと仕舞いこみ鍵をかけた。
そのような考えにたどり着いたときには高校生になっていた。
いつしか独りよがりのプレースタイルも変わっていた。
まわりを輝かせる喜びを知った。
サッカーが彼を育ててくれた。
サッカーから家庭や教室では学べないものを学んだ。
そして実に複雑な心の葛藤を抱えながら高校最後の公式大会を迎えた。
対戦相手はシードされた優勝候補の一角。
サッカーと付き合った12年間の思いをユニフォームの下にまといピッチを駆けた。
チームメイトのアシストで2得点を決めることができた。
しかしチームは強豪校の壁にあっけなく跳ね返された。
私は思う。
解団式の時、それまでかけられた痛い言葉。味わった屈辱の思い。
チームメイトと共に流した汗。ぶつかり合った青春の音。
甘くホロ苦い思いが交錯したに違いない。
そしてキャプテンとしてとうとうチームを勝利に導くことができなかった。
「お前が本物だったら勝たせてみろ」
あのときの言葉がリフレインのようにこだましたことだろう。
やっぱり無理だったか。
本物になれなかった。
彼はそっと心の底のひきだしを開け、まだ校名の入っていない大学行きのチケットを取り出し、こうポツリと言った。
「オレもうチームを勝たせなくていいんだ」。
そのとき止めどもない涙が声と共にあふれ出した。
しかし彼は言うだろう。
「あれは涙じゃないよ。雨だったんだよ。」
二日前に南九州は梅雨入りをしていた。