2018/04/17
しょっぱいドーナツ
こういう仕事をしていると思わぬ出会い、予期せぬ出会いと言うものによく遭遇する。
そしてその出会いが心の底に泥炭のように沈んでいたモノトーンの記憶を甦らせることがある。
私がまだ就学前、多分皮膚病だったと思うが、母に連れられて県立病院に通院していた時期があった。
威容を誇る大病院の建物は少年にとっては恐怖そのもので、診察日が近づくと晴れた空も暗い雲が垂れ込めたような様子に見えたものだった。
その日も市場に売られていく家畜のように母の手に従って病院へ向かった。
ただしそんな刑執行の日でも楽しみがないわけではなかった。
それは、診察後に毎回連れて行ってもらう病院の前の小さな商店だった。
その店の構えはもう覚えていないが、ひとつだけ鮮明に記憶していることがある。
それはそこで売られていた砂糖がたっぷりとかかったドーナツだった。
今みたいにカラフルにデザインされ、派手に厚化粧された洋菓子ではない。
ただ赤茶色の肌を白い砂糖で覆っただけの何の飾り気もないドーナツだ。
いやドーナツと言うより砂糖菓子と言った方が正確だろう。
頬張ると口の中で砂糖をかみ砕く音がジャリジャリした。
「甘み」と言う贅沢が少なかった時代において、それは立派なご馳走だった。
それにありつける楽しみだけで、嫌々ながらでもあの家畜市場に足を運んでいた。
多分、私の病気も快方に向かったのだろう、いつしか通院も止った。
同時にドーナツに会うことも途絶えた。
あのお店の人はどうしているのだろう、もう一度食べたい。
ときどき無性に気になることもあった。
それからさらに時が流れた。
あの店はいつしかなくなり、その場所は大きなホテルの駐車場に変えられていた。
そしていつしか私の記憶からも砂糖まみれのドーナツはすっかり消えていた。
そんなある日、ひとつの葬儀の聞き取りで、故人が以前県立病院の前で菓子店を営み、そこでドーナツを店売りしていたことを知った。
そうだ。あの店だ。そしてこの人があのドーナツを作っていたのか。
色んな記憶が奇術師のカードゲームの手さばきのように次々と浮かんできた。
私は難解な推理小説を読破したような気持ちになった。
そうかこの人だったのか。
その店の女将は最期は90に差し掛かり、立派な子息たちに恵まれ、悠々自適の余生を送ったと知った。
私はこの思い出を遺族には伝えなかった。
それは私と母の遠い記憶の一頁に納めておくことにした。
その葬儀の夜、食卓には妻の手料理の横にいつものように一膳の飯が並べられた。
ひと口口にするとジャリジャリと音がしたような気がした。
そのことを妻に言うと、ちゃんと洗米して炊飯したからそんなことはないと返って来た。
でもその夜、私は確かに聴いた。
口の中のジャリジャリと言う懐かしい音を。