社長のブログ

2018/04/23
追悼ブルーノ・サンマルチノ

ブルーノ・サンマルチノも逝って昭和プロレスがまたひとつ遠くなった。

 

 

 

サンマルチノは数多のエピソードに彩られた名レスラーだった。

 

 

 

イタリア移民の子として生まれニューヨークのMSGを舞台に1960~70年代にかけて「帝王」として君臨した。

 

因みに中学時代の筆者も当時まわりの少年たちがそうであったようにMSGのロゴの入ったスポーツバッグを愛用していたことを付記しておく。

 

 

 

プロレスラーになる前の職業はレンガ積み工。筆者はこんな職業があることを初めて知った。

 

 

 

48秒で当時の絶対王者バディ・ロジャースを下しWWWF世界チャンピオンに君臨。

 

 

 

共に修業時代、ジャイアント馬場とニューヨークで知り合い生涯の友となる。

 

馬場が全日本プロレスを立ち上げた頃、業務提携をしていなかったのにもかかわらず何度も来日し創業当時の馬場を助けた。

 

ちなみにのちにアントニオ猪木が率いる新日本プロレスがサンマルチノの所属するWWWFと業務提携を結んだが、馬場への友情から一度も新日のリングへは上がらなかった。

 

若い頃に苦労したからだろうか人情味あふれる任侠肌の親分でもあった。

 

 

 

レスラーとしての終焉は意外なところからやってきた。

 

当時新人レスラーとして育てていたある選手と試合をした時、その選手のボディスラムで頸椎を痛めリングを降りることになったのだ。

 

ちなみにそのある選手とはスタン・ハンセンで、サンマルチノに変わりWWWFのスターになる事は皆さんご存知だろう。

 

またハンセンの必殺技ウエスタンラリアットの箔をつけるためか、サンマルチノを引退に追いやった技はラリアットだと言われた時代もあった。

 

 

 

↓の写真をよく見るとわかる人にはわかると思うが、晩年は頭にカブリモノをしてリングに上がっていたため、頭を触られるのを極端に嫌がっていたとか。

 

 

ブルーノ・サンマルチノ

 

最後にサンマルチノのニックネームはご存知「人間発電所」。

 

数あるレスラーのニックネームの中でも秀逸である。

 

 

 

「人間発電所」…恐らく必殺技のカナディアンバックブリーカーの姿が鉄塔をイメージさせることに由来していると筆者はみるが、これぞ昭和プロレスと膝を叩きたくなるようなネーミングだ。

 

 

 

今、原発問題で世の中がかまびすしいが、「人間発電所」というエネルギー源を失った昭和プロレスの痛手は大きすぎる。

 

 

合掌。