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社長のブログ

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2016/10/20

④追悼 平尾誠二!

葬儀を終えて車のラジオから流れてくるニュースに耳を傾けていたら、ミスター・ラグビーと言われた平尾誠二の訃報が伝えられた。最初に「嘘やろ!」次に「なぜ?」…と思わず口にしてしまった。

 

 

言わずと知れた平尾は同志社大学ラグビー部の黄金時代を支えた中心選手で、私の1学年後輩になる。と言っても学生時代から既にスター選手だった平尾が私を知るわけもなく、私も大学のキャンパスで1回だけチラっと見かけただけだったが。

 

いやあ、それにしてもスタイルも顔もよく(実際ファッション雑誌のモデルを務め連盟から注意を受けたこともある)100メートル離れていてもビンビン伝わってくるオーラにあふれていた。

 

 

当時から平尾は私たちの憧れであり誇りだった。と言うのも、何かにつけ東京の大学に引け目を感じていた関西の大学生にとって、唯一と言っていいほど溜飲を下げることができたのがラグビー大学選手権だった。今ほど社会人ラグビーには活気がなく大学ラグビーがラグビー界の頂点に立っていた時代のことだ。

 

 

平尾を筆頭に林敏之、大八木など日本代表を擁する同志社ラグビー部は、大学では頭ひとつも、ふたつも抜き出た存在だった。実際、後年帝京大に破られるまで前人未到の大記録だった大学選手権3連覇を達成した。そしてそのピッチの中心に1年生の時からレギュラーを張っていた平尾がいた。

 

 

平尾が現れるまでラグビーのエースは背番号10を背負ったスタンドオフと言うポジションだったが、彼はそれまでの常識を覆し背番号12番のインサイドセンターとしてゲームメークとトライゲッターと言う重要な二役を担っていた。そして、近代ラグビーではセンターの重要性はますます大きなものになっている。その先鞭をつけたのが平尾だった。

 

 

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同志社を卒業した平尾は神戸製鋼に入社し、今度は挑んでくる大学生をバッタバッタとなぎ倒し、日本選手権7連覇を達成してみせた。この頃が彼のラグビー人生の第1黄金期だった。

 

 

その後、世界のラグビー界はワールドカップを中心に回るようになり、平尾にとって少しだけ冬の時代が来た。特に南ア大会・NZ戦惨敗の全責任を負わされたような格好になってしまったのは気の毒だった。

 

最近は現場から少し距離を取り、GMとしてチームの基礎作りに力を注いだり、学術機関などでラグビーの発展を支えるなど縁の下の力持ちに徹していたように映った。華やかなBKから地味なFW第一列を買って出ていたのだろうか。

 

 

しかし、ワールドカップ日本大会を控えて平尾の力が必要になるのは間違いなかった。彼が再び表舞台を駆け抜ける姿が目に浮かんでいた。まさに第2期黄金時代は目の前だった。

 

 

強豪チームの名うての選手たちを翻弄した平尾のステップワークだったが、今回は病の強烈なタックルに倒されたようだ。だが立ち上がれ平尾。ラグビーの神様になって、母校・同志社と日本ラグビー界を導いてくれ。まだノーサイドの笛は鳴ってないぞ。                                 

                                                       合掌

 

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