社長のブログ過去記事

2014/03/09
読書完走文 「坐禅のすすめ」

浴読で一気に読破しました

ポイントを上げると…

坐禅は何かを身につけるのでなく、

逆に余計なものをどんどん捨てていくものです。

経営者の不安の根っこになっているのは「孤独」です。

不安に解決策などありません。

解決策がないものは、捨ててしまうのがいちばんです。

捨てきるのが禅の究極の姿です。

捨てられるものは捨てる

捨てられないものは抱えていく。

解決しないまま抱えていけばいいのです。

人は基本的に後ろ向きな生き物です。

無理して前向きになる必要はありません。

それよりも、心をゆるめましょう。

長いため息とともに思いを吐き出す。

息を吐くと緊張感が解け

心がゆるみます。

ほめられたからといって自分の価値が高まるわけではないし

けなされたからといって価値がさがるものでもないのです。

「誠を尽くす」とは

自分を犠牲にして行動することが

人のためになっていることです。

姿勢を整え

呼吸を整え

心を整えるのです。

「これからどの道を行くか」ではなく

「自分はいまどこにいるのか」が大切です。

現代人は、強い心を持ってほしいと思いながら

「ほめすぎ」

というぬるいところに安住しがちです。

適度な緊張感を持っていると

心身ともに美しくなります。

人は何も持たないで生まれてきて

死ぬときも何も持たずに還っていきます。

過去は過ぎ去ってしまって、いまさらどうしようもないし、

未来はやってきていないのだから、手のつけようがありません。

私たちにはいつも「その瞬間」しかないのです。

その瞬間やることに一生懸命になる。

それを積み重ねていくことにしか

大切に生きる道はないのです。

煩悩とは

執着 妄想 我欲 嫉妬 見栄 怨念…などです

「はい」

たった二音が、相手の気持ちを晴れやかにします。

人は口で、つまり言葉によって、

悪業をなすことが一番多いのです。

「自由」という文字は

「自(分)」 に 「由(よ)」ると書きます。

自由であるかないかは、自分自身に委ねられた問題です。

おたがいが、辛抱、がまんの中で

少しずつ折り合いをつけていく…

がまんのできる心身は

生きるのを楽にしてくれます。

自分自身の柔軟性の大きさになっていくからです。

お釈迦様は

「生」「老」「病」「死」を

人が逃れることのできない四つの苦しみ

「四苦」といいました。

10年ひとつのことを一生懸命やったら

必ず「その道」にいるあなたをみんなは認めてくれます。

「学ぶ」とは「まねる」こと

始まりは「まね」て゜も、続けていけば自分のスタイルになります。

庭の塵を払うことは、心の塵を払うこと

廊下を磨き上げることは、心を磨くことです。

苦しみとか哀しみは

心についてしまった泥のようなものです。

それをつけたのは自分です。

最終的には苦しみや哀しみを自覚した自分が

それを洗い流さなければ、

心はさっぱりしないのです。

振り返る→気づく→あらためる

これを繰り返していくと

人生を丁寧に生きることにつながります。

結果がどうであっても

覚悟を持って、選んだ道を行くという

そのことが、真摯に生きることにつながっているのです。

以上

もちろん私の言葉ではありませんよ(笑)

平井正修師のお言葉を拝借しました。