2018/05/07
イチロー
遂にその日がやってきた。
レジェンドがバットを置いた。
いや彼の場合はバットだけでなくグローブもはずし、スパイクも脱いだと言わねばならないだろう。
打撃、守備、走塁、どれをとっても野球界に燦然と輝く沈まぬ太陽だった。
細かい成績については敢えて触れずにおくが、悔やまれるのは2012年からの3シーズンを過ごしたニューヨークでの日々だ。
シアトルから放出されたものの前年まで180本以上の安打を叩きだし、守備や走塁に至ってはむしろ進化を感じさせていただけに移籍後の失速が残念に響く。
わたし流に言わせると水が合わなかった。
その原因がニューヨークと言う街そのものなのか、監督、チームメイトなのかそれはわからないが何かがカチッとおさまらなかったと見る。
それまでイチローは大都会でプレーしたことがなかったからか、ベンチでの様子も目の中でずれたコンタクトレンズのように浮き上がった存在に見えた。
不振の原因はひょっとして体力の衰えの兆しだったのかもしれない。
或いは一流選手揃いのチームメイトからの嫌がらせか嫉妬か。
監督の起用法か。
いずれにしてもイチローと言う神はニューヨークでただの一流選手に堕ちた。
それからのフロリダ、そしてシアトルでの束の間の日々はゴルゴダの丘に引かれて行く神の姿に映った。
そんなイチロー観であったが、わたしは彼の放った3089本の安打のうち3本を実際目にする幸運に恵まれた。
2001年と言うから大リーグに渡り最も勢いづいていたシーズン、家族を連れてセーフコフィールドに足を運んだ。
それは応援と言うより野球の神様のお参りに行ったと言うのが本音だ。
二試合続けて観戦したが、神様は最初の試合で魔法の杖を使い楽々と三つのヒットをわたしたちに魅せてくれた。
そして翌日の試合は悠然とベンチに座り休養を決め込こんだ。
しかしベンチにいてもその存在感は広いスタジアムの隅々まで届き、わたしたちも同じ空間にいられる喜びを感じた。
セーフコは神の宿るパワースポットだった。
わたしは思わずベンチの方へ向かい手を合わせた。
目的を果たすと空路帰国の途に就いた。
そして異国人に乗っ取られた航空機がアメリカの高層ビルに突っ込む惨事をテレビのニュースで目にしたのがそれからわずか一週間後のことだった。
わたしは今度はテレビ画面に手を合わせていた。
イチローと過ごした夏が煙の向こうで霞み遠くなった。
持参したグローブを手にしてプロムナードでキャッチボール
あいにくスカウトの目にはとまらなかった
ミッチー1歳
近所のショータローと丈生とセーフコのベンチにて
thank you‼